この記事の下書きを書いたのは2024年11月13日。校正をして公開したのが、今日2025年6月5日。書いたあとになかなか見直す気持ちになれなかったから、本当はまだ書けてない2024年の出来事のTODOリスト(一部下書きはあるけど今でもTODO…)を書き終わったら見直そうと思っていたんだけど、半年以上経っていたから普通に読めるようになってた。
最近、本当にびっくりするくらい気持ちが沈んでたんだけど(人生で一番かも)、大切なことを思い出せたおかげで少し落ち着けた。それで久しぶりに日記を書いてたら、忘れていたさくらもちガーデンのことを思い出して見直せたから、やっと公開できる。全然ハピなるな話じゃないけど、重要な経験だから記録に残しておかなくちゃいけないからね。
最後の応援上映
今日のテラスモール松戸の応援上映は、昨日とは違って(私を含めて)2人じゃなくて4人の応援上映だった。みんなペンライトは振るけど全然声を出さないので、私も中途半端な応援になってしまっていた。でも昨日よりはマシだったから、慣れてきたらまた応援できるようになっていくのかなって思ってた。ミナトくんのお料理とご飯で人を心を温める優しさに泣いた。レオくんは今日も輝いていた。本当に大好き🩷って思った。
そう、思ってたのに…。「ナナイロノチカイ」のプリズムショーで、今まで一度もなったことがない気持ちになってしまった。プリズムの煌めきが消えるシーンまでは普通だったけれど、その後、私は歌を歌えなくなってしまった。そんなことは初めてだった。通常上映だったとしても、いつも心の中では心を込めて歌えてた。なのに、歌おうという思い自体が心の中から消えてしまってしまっていた。愛を込めた歌声が煌めきとなってみんなの心を再び輝かせるのなら、煌めきを失った心では分けてあげられる煌めきは存在しなかった。
みんなが画面の向こうで遠くに行ってしまったみたいに感じられて、自分の心がそんな状態になることを信じたくないと思いながら、頭が真っ白になるような感覚になった。ファンのみんなとセプテントリオンの輪の中に、今までずっとその中に入れてもらえるのが当たり前で、幸せで、それ以外考えられなくなっていたのに、今は足がすくんで輪の中に入る勇気が出なくなってしまった。
何も歌えなくて、ペンライトを持った手が固まって動かせなくて、呆然と目の前の光景が流れていくのを見ていることしかできなかった。時間が流れていく。みんながそれぞれ大好きな色の光を灯したペンライトを掲げる。リングがみんなの心を結ぶ。みんなが誓いの言葉を口にする。だけど私は、光が消えたペンライトを手にして固まっていた。固まっている自分を認識してるんだけど、「何でこうなっちゃうんだろう…」って思いながら、遠くの出来事を見ているだけで動けなかった。
とうとう「LINK WORLD」が流れてきたけれど、そのまま画面を見つめていることしかできない。頭の片隅で「これでもう終わりなのかな…?」っていう疑問がぐるぐる回る。もっと見ていたかったし、そのつもりだったけれど、こんなに急に終わっちゃうの?って戸惑ってしまう。問いかけても答えは返ってこなかった。
そのまま映画は終わってしまった。悲しさも感じないような、不意につまずいたような、傾いたような、突然大切なものが失われたけれど、急すぎてまだ現実に何が起きたのか理解が追いつかないでいるような気持ちだった。
悲しみと疎外感のリンク
インモラルで最低の人間たちが支配しているソーシャルメディアのプラットフォームを世界中の多くの人や組織が許容し続けている事実や、その中で偏向した見方の事実に反する不正確な意見や解釈を多くの人が共有したり信じている事実に悲観的になって、心が弱って折れそうになってしまっているのかもしれない。
菱田監督もバーチャルライブアカウントもその他のいろいろな公式アカウントも、もう何年も経っているのに、今でも閉鎖的にされてしまった、ますます多くの人間の心を傷つけ続けているプラットフォーム以外では大切な情報を共有してくれなくて、その行動の選択によってみんなを閉ざされたウォールドガーデンにトラップし続けているということも、そのことが深刻な問題にされていないことも、全部が悲しい。いつか変わってほしいと願い続けて自分にできることはたくさんしてきたけれど、情報のエコシステムが捕らえられてみんなが依存し続けている今の環境には、小さな力では何の影響も与えられていないように思えて、何かが変わる兆しすら見られないから。
私にはそうする以外に選択肢はなかったけど、どうすればこの悪い状態を少しでもよくできるのかを何度も考え込んでしまったのもよくなかったのかな…。セプテントリオンのみんなの姿自体からそういう事実と悲しさを連想するようになってしまって、そんなはずがないのに、みんなの姿を目にすると、みんなから仲間外れにされてしまうというイメージが浮かんで振り払えなくなってしまったのかもしれない。本当に大好きだから好きだって思いたいのに、そのイメージに心が引き離されて、疎外されるようなイメージと感覚が心に染み込んでしまったのかもしれない。
もしもレオくんの歩む道が違って、心に影が残ってしまっていて、仲間はずれにされたときの記憶がフラッシュバックしてしまったら、この疎外感と似たような足がすくむ気持ちになってしまう気がする。
ハピなるな記憶、無理な矛盾
みんなのプリズムショーから希望をもらえたから、今まで外の世界をよくするために続けてきたことを、これからはもっと希望を持って頑張って続けられるようになると思ってた。
みんなの愛と煌めきを何度もたくさんもらえたから、また好きだったものを心から好きだって思えるようになって、とってもハピなるな気持ちになれた。この世界に生きてみんなの心に触れられることが本当に幸せだって、何度も思った。
この3カ月間、そう思えたことは、全部本当だよ。この思い出はとっても輝いていて、これからの人生でも大切な記憶になると思いたい。
でも、見れないなら見なくてもいいって自分では言っていたのに実際には見てしまっているような、言っていることとやっていることが矛盾している状態を、ずっと変わらずいつまでも抱え続けることなんて無理なことだったんだと思う。心の矛盾は、いつか必ず解かれなければならないというのが世界の理だと思うから。
それに、見たい煌めきだけ見てみんなの愛に甘えて、後悔の気持ちや自分の心の弱さにみんなのように強く向き合えずに、目を逸らし続けたままになってしまっているのも、間違っているんだと思う。心の片隅からするべきことをしていないよって声が聞こえているのに、その声を無視して何もしないでいることも、同じように無理なことだったんだよ。